2010

 

通りが空洞化した2010年代、そして新たなカタチへ

時代の移り変わりと共に2000年代から 

始まっていた中心市街地の空洞化。

沖縄市中央パークアベニューも例外ではなく、

通りの顔だったアパレル店や美容室が姿を消していく。

そんな中、新たに通りを活かしていく取り組みも誕生。

 

 

 

Interview from 2010

沖縄市コザはエンターテイメントの街。

それに魅了され様々な人々がコザの街にやってきて、

個性的なショップやサービスを提供してきました。

ご紹介する方もコザに魅了された一人

メディアプロデューサーの神山 繁さん。

通りの浮き沈みも体現しながら、今、新しい通りのカタチを提案しています。

text / shimatake   photo / Daisuke Nakagawa

神山 繁

沖縄市コザを拠点に、映像・映画作品の制作を手がける。沖縄市を紹介するテレビ番組「コザの裏側」ディレクター。自身が20年以上経営する沖縄市中央パークアベニューにある「プレイヤーズカフェ」をホテルのフロントとし、通りの空き店舗10室を客室にした「トリップショットホテルズ・コザ」も運営。

憧れの場所で情報の中心に居たかった

脱サラしてアベニューでBARをオープンさせたのが1999年の3月。

学生の頃から憧れていた街の情報の中心に居たい!というのが理由で、特にスキルもキャリアもないので、手っ取り早くBARを開いたという(笑い)。

当時は店舗を借りるのも大変で、若い、キャリア無し、飲食店という理由で散々断られ、ようやく今の大家さんに拾ってもらった。(プライヤーズカフェ)

BARを開いて2、3年は調子も良かったけど、その頃からすでにコザの空洞化は始まっていて、お店を探していた時も友人に「コザは終わっているから北谷にしたほうが良い」と言われていたほど。

街の情報を発信!やりたかったことはこれだった

2000年代まではアパレル店や美容室も多く、アメリカ屋はアベニューに7店舗ほど、TIME PROJECTの美容室もいっぱいあった。そのスタッフもBARに来てくれて賑わっていたけど、北谷の成長と反比例して、通りからどんどんショップが無くなっていった。

ダメ押しだったのがアメリカ屋グループの撤退で、シンボル的なアメリカ屋のショップが無くなったことで、通りも一気に活気が無くなった。

そんな中、フリーペーパーの制作をしている友人からコザを紹介するフリーペーパーを作らないかと誘われた。

アベニューやうちのBARもマックス元気が無くなっていたけど、フリーペーパーでコザの魅力を再提案していく事が楽しくて、自分がやりたかったのはこれだったんだと感じた。

直接シャッターを開けてお客様を呼び込む

本格的にコザをPRしていこうと考え、2013年にフリーペーパーを共に作っていた友人と今の会社を設立。それまでやってきた事が評価され、今でも続いているテレビ番組「コザの裏側」の制作を手掛ける事に。

そうやってコザの情報を発信していると、必然的に「まちづくり」っていう課題に取り組む事に。

行政や民間とでいろんな取り組みを行ったけど、やっぱ「まちづくり」は通りのシャッターを開けて、そこにお客様を呼び込まないとダメだと思った。

それで、2005年からアベニューの二階空き店舗を借りて、そこを宿泊施設にする取り組みを始めた。それがトリップショットホテルズ・コザ。今ではアベニューの空き店舗を10室借りて10の客室がある。

自分自身のテンションが上がる街にしたい

コザの街も、元気のないシャッター街だったけど、最近は、せんべろ居酒屋を中心に飲み屋が元気になってきて、20代、30代のショップ出店も増えいる。コザの空洞化の底は抜けた感はある。

自分も20年以上コザで仕事しているから、最近は良く店舗探しの相談を受ける。この通りは不動産屋を通してない物件がほとんどだから情報もない。だから力になってあげないと出店も増えない。今は通りのリーシングにも無償で取り組んでいる(笑)

それも、自分が憧れていたアベニューが、またテンションの上がる通りになって欲しいと思っているから。これからが拾ってもらったアベニューに恩返しをする番だと思っている。