音楽の街として一世を風靡した1990年代
1985年に沖縄市中央パークアベニューとして
日本人向けの商店街として生まれ変わった通り。
商売だけではなく、米軍人相手に演奏していたバンドサウンドも
日本人向けのポップミュージックに変化し、
沖縄市コザは全国屈指のミュージックタウンとなっていく。
Interview from 1990
2021年に結成30周年を迎えたディアマンテスは、
日系ペルー三世のアルベルト城間を中心に1991年に結成されたラテンバンド。
その歴史にコザを欠かすことはできない。
本格的に音楽活動をはじめる前から街の魅力に取りつかれ、
何度もステージを踏んだコザへの思いを語ってもらった。
text / Iori Futenma photo / Daisuke Nakagawa
アルベルト城間 1991年結成の県民的人気ラテンバンド「ディアマンテス」のメインボーカルにして中心メンバー。結成当時の拠点は沖縄市中央パークアベニューにあったライブハウス「パティ」。バンド活動だけではなく、ソロヴォーカリストとしてもNHK歌番組に出演するなど活動。 |
週末は仲間たちとコザのディスコへ
まだ20歳そこそこの頃、宜野湾に行こうとバスに乗ったら、バスを間違えてしまって、知らない場所にたどり着いてしまった。いろんな国籍の人が行き来して、不思議な景色でね。それがはじめてのコザの思い出。
80年代はとくにディスコの名残が強い時代で、当時ぼくは南風原に住んでいて、那覇でアルバイトをしていたんだけど、週末には仲間たちと車に乗り合わせてコザのディスコに通ってたよ。
もちろん那覇にもディスコはたくさんあったけど、なんていうのかな、すこし気取ったようなしゃれた空気が那覇にはあって。ぼくらはどっちかというともうすこし砕けた感じというか、そういうのが好きだったんだよね。ピラミッドとかゼノンとか。懐かしいね。
コザにはいつも音楽があふれていた
本格的に音楽をはじめると、ただディスコで踊る以上にコザの街の魅力に気づいたね。
コザにはいつも音楽があふれていて、それもロックだけじゃなくて、ソウル、ジャズ、それから沖縄民謡もあったね。キャノンでハードロックを聴いたり、アイランドの城間さんがあのきれいな歌声でシカゴを歌っていたりね。
ぼくが聞いた話だと、当時貴重だったウイスキーや煙草が米軍基地で働いている人たちを通じて安く手に入ったから、ミュージシャンが集まってきたらしいけど、どうなんだろうね(笑)。
とにかく、「いい音楽が流れる街」っていうのがコザのイメージだよね。
コザの先輩たちには恩がたくさんある
ぼくは出身はもちろん住んでいるところもコザではなかったけど、コザの先輩たちには本当によくしてもらって、恩がたくさんあるんだよ。20歳で沖縄にきて、右も左もわからない若造をすごくかわいがってくれてね。
那覇の小さい店でギターを弾いて歌っていたら、Chibi(宮永英一・1970ページ参照)さんが声をかけてくれて、当時RBCでラジオ番組を持っていたんだけど、すぐゲストに招んでくれて。デビューどころかろくにライブもやってない無名のぼくがChibiさんのラジオに出してもらえるなんて思ってなかったからびっくりしたけど、あのときは本当にうれしかった。今でも忘れないよ。
自分たちの原点に戻れる場所
コザでライブをしていた頃は、ライブハウス以外にも掛け持ちでリゾートホテルでも演奏していて、多いときで1日6ステージはやってたよ。
1991年にライブハウス「パティ」がオープンして、最初はチャージ500円からはじめて、すこしずつお客さんが増えていって、オリジナル曲もできて、気づいたら結成30年という感じだね。
もともとライブハウスでお客さんを楽しませることが目的で、メジャーデビューとかチャートインとかそういう野望みたいなものはなかったんだよ。その気持ちは今も同じで、一番は楽しんでもらうこと。コザにいるとそういう原点というか、一番最初の気持ちに戻れるんだよね。