沖縄市中央パークアベニュー
沖縄県下第二の市、沖縄市の中心市街地のメインストリートのとして商業の中心地として成り立ってきた。
全長452mの通りは、1985年の改修工事を経て、車道を一方通行にし、歩行者を優先とした歩道と景観を整備。白いカプセル型のアーケードが特徴。
名称も、それまでの「センター通り商店街」から「沖縄市中央パークアベニュー」に変更。
1950年代に米軍嘉手納基地の門前町として誕生し、1970年代には米軍相手の繁華街に。そして、1980年代に日本人向けの商店街へと変貌を遂げたこの通りの歴史は戦後沖縄復興の縮図でもある。
また、商業だけではなく、沖縄民謡、オキワンロック、オキナワPOPS、ヒップホップダンス等のエンターテイメントの分野からも数多くのアーティストを輩出してきた。
管理:沖縄市センター商店街振興組合 住所:沖縄県沖縄市中央4-10-25 電話:098-937-9345 交沖縄自動車道 沖縄南I.C から車で5分 |
HISTORY
1970年代 米軍人向け繁盛期
基地経済で繁盛し、一見華やかに見えるこの通りには大きな課題があった。オフリミッツと呼ばれる立ち入り禁止令である。店舗の衛生面や、何らかのトラブルが発生すれば米軍は地域や店舗に軍人・軍属の立ち入りを禁止した。
1975年まで続いたベトナム戦争は、通りに好景気を与え「Aサイン」店は繁盛するが、折からの全軍労闘争、沖縄の日本復帰運動が米軍人・軍属に危険が及ぶとされオフリミッツが繰り返された。
1972年、日本復帰を迎えた通りにはAサイン基準もなくなりオフリミッツの不安もなくなったが、ドル安円高は米軍人・軍属の購買力を低下させ、かつて繁盛したAサイン店は、周囲の商店街が近代化し繁栄するのに反比例して衰微していく。
1980年代 事業転換期
米軍依存の通りから脱却すべく改造計画が始まる。1976年、沖縄市商工会議所において「商業近代化地域計画」が策定され、センター通り商店街を特定事業として再開発を図るために通り全体の買物公園化構想を打ち出した。
商店街の構成員全員に新しい街づくりの機運を高めさせ、関係機関の指導のもと当時の「センター通り会(任意団体)」を発展的に解消し、1978年12月に現在の「沖縄市センター商店街振興組合」として法人化組織が設立された。
商店街改造計画を1979年11月に策定し、県、並びに商工会議所及び各関係機関のご指導ご援助のもと1985年4月に現在の沖縄市中央パークアベニューに生まれ変わった。